ささやかな協力のために考えたこと。
スティーブとはとてもいい友達でしたが、ひとつ不満があります。
アップルは想像力に富んだ優れた製品をだしているにもかかわらず、それらを自分の秘密にしてツールとして売っているだけで、科学やテクノロジーに対して何の貢献もしていない。
マイクロソフトは研究所もいっぱいつくっており、いい論文も出して講演会などもして世界に貢献していますが、アップルは「ゼロ」です!
「WIRED vol.21 ~ ニコラス・ネグロポンテ(MITメディアラボ教授兼共同創設者)」
先日、知人が新しい会社をつくるので、社名を考えて欲しいと言われた。
新しい会社は、従来の広告業と地域活性化のための事業の2つをやる会社を目指している。(当面は広告業を中心にする。)
すぐに、「スタンリー・クーパー・ドレイパー・プライス(TVドラマ「MAD MEN」に登場する広告会社)」というのはどうだろうかという提案をしたものの、「真面目に考えてください」と2秒で却下されたため、後日数十案考えて、彼に提案した。
とくに提案した案のいくつかを気に入ってくれたようではあるが、現在は社名ゆえの制約があるため、調整中であり、正式な名称確定は先になるようである。
今回のネーミングを考えることは、物理的なモノをつくる=原材料費がかかるというわけでもなく、当然、無報酬で行ったことである。
新しい会社は、単なる広告業だけでなく、地域貢献ということも真剣に考えると言っていたことから、こちらもささやかな協力だと思い、真剣に取り組んでみた。
こうしてみると、基本的に「考えること、プランニングすること」を商売としている人たちは、こうしたちょっとしたことで、間接的にでも、地域やコミュニティに何か影響を与えられるだろうと思う。(普段やっていなくてもである。)
特に最近は、「社会<経済」が前提であり、本来は、「社会>経済」であるはずなのだ。
勿論、経済合理性の追求は必要なことではあるものの、「このクライアントの年間予算は〇億円だから・・・・」という前近代的な発想だけで、着手すべき案件の優先順位を決めていたのでは話にならない。
「経済的な価値」と「社会的な価値」の交差するところで、かつ、単年ではなく継続的なつきあいができるかという観点から考えることが必要である。
わたしが知る唯一のルールというのはだね------------
人には親切にしなさいってことだ。
「これで駄目なら」 カート・ヴォネガット
今日も読んでいただきありがとうございます。
BLUE BOTTLE COFFEE ベラ・ドノヴァン(ブレンド)を飲みながら。
ゼロからはじまる大切な2つのこと。
私たちの仕事は、問題を見つけるところから始まる。
データに答えを求めるのではなく、問題設定にデータを使うと語る。
「アドタイ 2016.02.08 掲載~ ゼロtoワンのクリエイティブ レイ・イナモト氏新会社方針」
宣伝会議の「アドタイ」の記事を読んでいて、今の(マーケティング)ビジネスには、「2つのZERO TO ONE」が必要なのではないか、という想いに至った。
それは、
①「課題設定のZERO TO ONE」と、
②「課題解決のためのZERO TO ONE」
である。
具体的に言えば、一口に、問題定義や課題設定と口にはするものの、これほど奥が深い業務プロセスはない。
多くの医療事例と同様に、本当に正しい治療ができるのは、正しい診察(正しい課題設定)があったからこそである。
下痢を伴うウィルス性胃腸炎の患者に、単純に下痢止めを投与すれば、ウィルスが体内にとどまってしまう。この場合のとるべきアプローチは、菌を体外に出すことである。
もうひとつのZERO TO ONEは、ソリューションのZERO TO ONEである。
例えば、広告を考えた場合、以前ならば、あらかじめTV、新聞、雑誌等といった広告枠が決まっていることが大半で(クライアントが指定することが多かった)、この枠の中にいかに効果的なクリエイティブを作るかということに注力していた。
しかしながら、現在は、そうした「前提や与件」すらなく、むしろそれらの前提自体を疑ってかかることが良しとされることも少なくない。
ゼロからはじまるクリエイティブこそが重要である。
クライアントから課題を与えられ、かつ、ある程度解決方法も与件として呈示されるということはますます少なくなっていくだろう。
現代の良い仕事は、課題とソリューションもゼロから考えるのだ。
メディアや広告ビジネスの前提となっているのは、広告枠を売り、その枠に収まるアイデアを作るということだ。
数十秒のCM枠や白いページ、広告看板に当てはまるモノを作るのがクリエイティビティだと唱えられてきた。「これまでの広告やマーケティングは、メディアの枠から始まっていた。つまり出発点が1だった」
「もちろん1から始めることが間違っているわけではない。ただ、これからの本当のクリエイティビティはゼロから始まる必要があると思う。いずれにしても、クリエイティブであることが、生き残る術だ。クリエイティビティこそが、最後まで人間が人工知能に優る点だと思う」
「アドタイ 2016.02.08 掲載~ ゼロtoワンのクリエイティブ レイ・イナモト氏新会社方針」
本日も読んでいただき、ありがとうございます。
OBSCURA Mexicoを飲みながら。
危機を乗り越える、クリエイティブな課題解決力。
助ける方法を検討するのではない。どうしたら助かるかを実行することである。
映画「アポロ13」
最新作「オデッセイ」や過去作品ではあるが「アポロ13」等、宇宙での予期せぬ事故に遭遇し、どうやったら地球に帰還できるかという課題を抱えたクルーたちを描いたSF映画には学ぶべき点が多々ある。
それは、「クリエイティブな課題解決」という一点においてである。
月に向かっていたアポロ13は、突然、酸素タンクの爆発事故から電力と水不足という決定的な状況に追い込まれた。
この時、NASAは地上にアポロ13が置かれている状況と同じ環境を設定したという。正に、「シミュレーション」であり、「プロトタイプ」の考え方である。
そして、地上(NASA)における「実験」を繰り返し、アポロ13内にあるモノ、例えば、ゴムホースやストッキングといったものを巧みに組み合わせて、二酸化炭素浄化フィルターをつくってしまう。
そうした「クリエイティブな課題解決力」こそが、危機を乗り越える原動力となり、地球帰還に結びついた。
ここで大切なことは、固定観念にとらわれない姿勢である。つまり、「ストッキングは履くもの」と限定するのではなく、フィルターとして使えるのではないか、と考えることにより、ブレークスルーの糸口が発見できるのだ。
部屋にあるゴミ箱を椅子と考えたり、大人を子供と考えてみる・・・・・・そんな中にイノベーションが潜んでいるのではないか。
生き抜くためには、目の前の問題をひとつひとつ解決していくことだ。
映画「オデッセイ」・鑑賞後の筆者の記憶と解釈に基づく
Blue Bottle Coffee スリーアフリカンズ(ブレンド)を飲みながら。
今日も読んでいただき、ありがとうございました。
終わりなき旅。
人は何度でも立ち上がる。
立ち上がっては倒れ、立ち上がっては倒れ、その足元はおぼつかないかもしれない。
けれども、立ち上がったことは、一生忘れることのない、かけがえのない記憶となる。
僕の小説が語ろうとしていることは、ある程度簡単に要約できると思います。それは、「あらゆる人間はこの生涯において何かひとつ、大事なものを探し求めているが、それを見つけることのできる人は多くない。そしてもし運良くそれが見つかったとしても、実際に見つけられたものは多くの場合、致命的に損なわれてしまっている。にもかかわらず、我々はそれを探し求め続けなければならない。そうしなければ、生きている意味そのものがなくなってしまうから」ということです。
物語をつくる、自分の部屋をつくること。
小説を書くということは、つまり物語を作るということであると考えています。
物語を作るというのは、自分の部屋を作ることに似ています。
部屋をこしらえて、そこに人を呼び、座り心地のいい椅子に座らせ、おいしい飲み物を出し、その場所を相手にすっかり気に入らせてしまう。
そこがまるで自分だけのために用意された場所であるように、相手に感じさせてしまう。それが優れた正しい物語のあり方だと考えます。
たとえ、それがものすごく立派で豪華な部屋であっても相手が落ち着いて馴染んでくれなければ、それは正しい部屋=物語とは言えないでしょう。
というと、まるでこちらが一方的にサービスをしているみたいに聞こえるかもしれないけれど、必ずしもそういうわけではありません。
相手がその部屋に入り、それを自然に受け入れてくれることで、僕自身も救われることになります。
相手の居心地の良さを、自分自身のものとして感じることができます。
なぜなら僕とその相手とは、部屋という媒介を通して、何かを共有することができたからです。
共有するということは、つまりものごとを分かち合うということです。
力を互いに与え合うことです。
それが僕にとっての物語の意味であり、小説を書くことの意味です。
上記の引用は、あくまで小説を書くことの意味について言及しているものの、
ここでの物語を「マーケティング」や「コンテンツマーケティング」という言葉に置き換えてみると、見事にマーケティングの本質を言い当てている。
例えば、こんな風に。
マーケティングというのは、自分の部屋を作ることに似ている。。
部屋をこしらえて、そこに人を呼び、座り心地のいい椅子に座らせ、おいしい飲み物を出し、自社の商品やサービスを顧客にすっかり気に入らせてしまう。
そこがまるでその顧客だけのために用意された場所であるかのように、相手に感じさせる。それが優れた正しいマーケティングのあり方だ。
たとえ、それがものすごく立派で豪華な部屋であっても相手が落ち着いて馴染んでくれなければ、それは正しいマーケティングとは言えない。
というと、まるでこちらが一方的にサービスをしているみたいに聞こえるかもしれないけれど、必ずしもそういうわけではない。
顧客がその部屋に入り、それを自然に受け入れてくれることで、送り手自身(企業)も救われることになる。
顧客の居心地の良さを、自分自身のものとして感じることができる。
なぜなら送り手(その企業)と、その相手とは、商品やサービスを媒介に、何かを共有することができたから。
共有するということは、つまりものごとを分かち合うということ。
企業と顧客とが、力を互いに与え合うことだ。
それがマーケティングの意味であり、本質である。
今日も読んでいただきありがとうございます。
SWITH COFFEE TOKYO SIDAMO ETHOPIA WASHEDを飲みながら。
取り入れられる物語を。
Eコマースでは消費者が選べないほどの店、商品があふれています。
多くの商品は、どこでも売っている潤沢品です。すると在庫の数とか、すぐ届けられるとか、安さでしか差別化できません。
その商品が「あなたにとって価値がありますよ」とアピールする力が必要です。手段のひとつは、マニアな視点から、商品の文脈を編み直すこと。つまり、「コンテンツマーケティング」です。
「日経MJ」2016年1月1日 ネットリアル革命~あふれる商品に物語を 小林弘人
今年は「物語」について真剣に考える年にしなければならない。
消費者がクライアントの「商品やサービスを自分の物語として取り入れてくれる」ようにすることを徹底して考えること。
そのためには、マニアックな視点が必要であり、それはすなわち、エクストリームユーザーを深堀していくことを同時に意味する。
「n=1だから・・・・」と、大規模サンプルのネットリーサーチのみに依存するのではなく、エクストリームユーザーにかかわっていくことが不可欠である。
とくに、エクストリームユーザーは、継続購入してくれ、「良い売上」をもたらしてくれる可能性も高いはずである。
(世の中には、「良い売上」と「悪い売上」がある。悪い売上は1回買って終わりの客で構成される売上である。)
仮に、クライアントが高級紳士靴メーカーだったとして、そのエクストリームユーザーが簡単につかまらなくとも、彼らと接している靴磨きの人に話を聴く、という方法だって考えられるのだ。
ときどき年若い読者から長い手紙をもらう。
彼らの多くは真剣に僕に向って質問する。「どうしてあなたに、私の考えていることが、そんなにありありと正確に理解できるのですか?」
こんなに年齢も離れているし、これまで生きてきた体験もぜんぜん違うはずなのに」と。
僕は答える。「それは、僕があなたの考えていることを正確に理解しているからではありません。僕はあなたのことを知りませんし、ですから当然ながら、あなたが何を考えているかだってわかりません。もし自分の気持ちを理解してもらえたと感じたとしたら、それはあなたが僕の物語を、自分の中に有効に取り入れることができたからです」と。
仮説の行方を決めるのは読者であり、作者ではない。物語とは風なのだ。
揺らされるものがあって初めて風は目に見えるものになる。
「村上春樹 雑文集 自己とは何か(あるいはおいしい牡蠣フライの食べ方」
今日も読んでいただきありがとうございます。
COFFEE VALLEY Colombiaを飲みながら。
埋め込まれた言葉。
会社に行かない日は、いつもジーンズを穿いている。
最近はストレッチジーンズなるものがあり、綿にポリウレタンを混ぜることで、生地の伸縮性を出しているのだが、こうした生地は着用頻度が多くなると、生地が伸びきってしまい、収拾がつかなくなる。
そんなこともあり、先月、ストレッチ素材ではないジーンズを購入した。
購入した際は全く分からなかったのだが、昨日、このジーンズを脱ぐときにはじめて分かったことがあった。
ジーンズの内側、つまりフロント部分の内側に以下の写真のような言葉(コピー)が刺繍してあるのだ。
(個人的な勝手な翻訳 =「夢を抱いて眠りにつき、目的をもって起きろ」)
真に意図的、戦略的だったかどうかは別としても、「誰かに話してみたくなる要素やネタ」をプロダクトそのものの中に埋め込んでいる。
今年も読んでいただきありがとうございました。
よいお年を!!
そして夢を抱いて眠りにつき、目的をもった1年に!!!
珈琲鳴館 モカ・イルガチェフG1と、
WEEKENDERS COFFEE COSTA RICA La Lia Pie Sanを続けざまに飲みながら。