町野公彦のマーケティング・ブリコラージュ

次の時代に手渡したいビジネス名言

アナログでしかできないこと。

その靴屋は、銀座にあっては特別高級店というわけでなく、むしろ周囲の店舗からみれば、コストパフォーマンスに優れた店である。

 

くわえて、この店の販売員の方々からは、いつもプロ意識を感じる。

 

売り込みは一切せず、納得したら買ってくださいというスタンスが基本である。

英国製の革靴を売りにしていて、何足試し履きしても嫌な顔はされず、むしろ沢山試してくださいと言った感じで、販売効率性の追求もない。

 

先日、この靴屋から一通の封書が届いた。

封書には、何かが入っているようで、封筒が盛上がっている。

開封してみると、そこには新しい靴紐とメッセージカードが入っていた。

 

デジタル時代にあって、アナログで地味なことを真摯に継続している。

そのカードには、以下のようなことが記されていた。

 

いかがお過ごしでしょうか?

お買い上げいただいた靴の具合はいかがでしょうか。

そろそろ、シューレースも弱って来る頃かと思います。

替わりのシューレースを同封しますので、交換してください。

(中略)

現在、お買い上げいただいた靴のうち、7割以上の靴はカカトやソール交換などの修理で戻ってきます。その履かれ具合を見て我々は安心いたします。

しかし、残りの3割の消息はわかりません。

ご愛用されていれば、これ以上の喜びはありません。

しかし、我々が一番心配しているのは何らかの理由で履かれていない靴があるのではないだろうか、ということです。

 

我々の仕事は靴を販売して終わり、とは考えていません。

むしろ、販売してから本当の仕事が始まると考えています。

我々は手入れをして永く履ける靴のみを厳選して販売しております。

販売してから、靴としての使命が終わるまで末永く手入れや修理のお手伝いをするのが役目と考えています。

グットイヤーウェルトの靴に限って言えば、新品の靴は半完成品です。

残りの半分はオーナーの足によって履かれて完成するのです。

しかし、何らかの原因で中断してしまっているということもあります。

 

当店では靴に関するあらゆる修理を承けたまっております。

また、部分的にきつかったり、あたる靴の修正は無料で行っており、何回でも、納得いただけるまで修正いたします。

ぜひ、履かれずに眠っている靴があったらお持ちください。

 

また、購入されたがあまり履いていないという方にお願いがあります。

その理由を是非お聞かせください。

履かれない靴を無くすというのは我々の義務です。

皆様の意見を参考にして改善していきたいと思います。

 

 

今日も読んでいただき、ありがとうございます。

 

% ARABICA BLEND (KYOTO HIGASHIYAMA)を自宅で飲みながら。

 

Q+A=I

そして「イノベーションを起こすための鍵は『答え』ではなく『クエッション=質問/疑問/問い』の方にある」と断言する。

                「Q思考」 ウォーレン・バーガー

 

 

経済が右肩上がりで、誰もがやることがあらかじめ分かっている時代ならば、「答え」がもっとも重要なものだった。

例えば、〇〇という家電製品を市場導入するにあたり、効果的な広告は、テレビに〇%、新聞に〇%・・・・といった風に配分比が過去のデータからおおよそ決まっており、先輩たちからそうした「答え」を教えられてきた。

 

しかしながら、現在は、そもそも広告をやるべきなのか、むしろ、PRに予算の大半をあてた方がよいのではないか、というように、正に「問い」を立てることが何にもまして重要なことであることを体感できる。

 

今までの企業は、「答えを覚えるのが早い人」、「既にある問いに対する答えを暗記している人」が優秀な人であり、そうした人々を採用するのが、人材戦略のポイントだった。

もはやこうしたセオリーは過去のものになっている。

答えではなく、問いそのものを考えられる人が優秀な人である。

 

Q(問い)+A(アクション)=I(イノベーション)という公式があるという。その公式には、もうひとつの式があり、それには、Q(問い)-A(アクション)=Pといわれる。Pとは、「フィロソフィ」を指すのだが、「パーパス(Purpose)」の方が僕自身、しっくりくる。

 

「もしこの会社がなくなったとしたら、誰が惜しんでくれるだろうか?」という究極の問いを考えることを通じて、この会社の最も重要な顧客は誰なのか、会社の本当の「目的」は何かが鮮明になるのだと言う人がいる。

 

この問いを応用して、僕はこんな問いを立ててみた。

「もしあなたがいなくなったとしたら、誰が惜しんでくれるだろうか?」

この問いを通じて、あなたの人生の目的や重要な人がよりはっきりしてくるだろう。

 

 

 今日も読んでいただき、ありがとうございます。

 

OBSCURAのKenyaを飲みながら。

 

 

 

 

失われた多様性を求めて

「僕にはわからないのは、企業というものは、営利を目的とするのか、公益面に奉仕するだけのものなのか、その辺のケジメが全然ついていないということである。

本当は儲けたいというか、自己保身から一歩も出ていないのに、表だけは無理にとりつくろう。

 

どうして、自己保身なら自己保身で、それをはっきりと打ち出す勇気がないのだろうか。昔のように愛国者気取りで、業界のためなんていわないで、どうして自分の繁栄のためにといわないのだろうか。業界のために、自分が犠牲になるつもりで、物をつくったり、会社を経営したりしているのではないはずだ。それをはっきり言えないような勇気のない人は嫌いだ。

だからうちの連中に、会社のために働くな、自分の生活をエンジョイするために働きにこい、それで一生懸命やることで会社ともどもいいといっている。

やはり人間は自己保身より一歩も出ていない。戦前の滅私奉公は嫌いだ。」 

「会社のために働くな」  本田宗一郎・著

 

 

入社希望の大学生を相手に就職面接をやらせていただくことがある。

今の多くの学生は皆同じように、面接時に、「ソーシャル」、「CSR」、「フェアトレード」、「サスティナブル」・・・・・・etc、というカタカナを多用しながら、自分がいかに社会的な事象に関与しているか、また、学生時代にどんなにがんばったかを非常に流暢に述べていく。(勿論、全ての学生にあてはまることではないが。)

 

現実のビジネスは、ただひとつの解が存在するものではない。

ましてや、新しいアイデアの創出(あえてイノベーションというカタカナを避けた)が問われる中、「意見の多様性」は重要である。

 

しかしながら、この国では、こうした就職活動においても、「会社という共同体が好ましいと考えるであろう、ただひとつの解」に収斂されていくようだ。

 

これは、大学生の問題ではなく、日本の問題でもある。

 

今日も読んでいただき、ありがとうございます。

VERVE COFFEE ROASTERS ETHIOPIA LAYO TERAGAを飲みながら。

 

ヒューマン・インサイトから考える

インサイトは、こころのなかに存在する何かなので、情緒的ベネフィットと同じような領域にあります。

しかし、情緒的ベネフィットが機能的ベネフィットを土台にしているのに対して、インサイトはかならずしもそうではありません。

 

先述のイケアの「罪悪感」も、ハーヴェイ・ニコルズの「エゴと葛藤」も機能的ベネフィットから発見できることではありません。

むしろ、ヒューマン・インサイトからのルートでしょう。

その意味で読書すること、映画を観ることも、インサイトを探す訓練になるでしょう。」

「売れる広告 外資系プロフェッショナルのグローバルメソッド

伊藤紅一、前田還

 

 

先日、ガス・ヴァン・サント監督の映画「THE SEA OF TREES(追憶の森)」を観た。

妻を亡くした、マシュー・マコノヒー演じる大学の教員が、自らの生命を絶つために、日本の青木ヶ原の樹海にやってきて・・・・・・という話である。

 

その樹海で遭遇した渡辺謙演じる不思議な男は、マコノヒーに対して、

あなたの妻の好きだった色や季節を知っているか、と問うシーンがある。

マコノヒーはそれに対して答えることができない。

 

正に、「身近な人のことほど、意外に知らないことが多い」

というヒューマン・インサイトに気付かされた。

(映画からもインサイト例が学べる。)

 

そもそも、マーケティングは、ときに不合理な人間を対象にするものだから、商品そのものよりも、「言われてみるとその通りと思う、人間が生活していく上で生じるココロのツボ=ヒューマン・インサイト」から考えてみる価値はとてつもなく大きい。

 

今日も読んでいただき、ありがとうございます。

 

VERVE COFFEE ROASTERS ETHIOPIA LAYO TERAGAを飲みながら。

 

 

 

 

 

 

「そのために」大切なこと。

夢とは響きのいい言葉です。

ただ、夢が何かを生み出してくれるかというと、微妙です。

あるスポーツ選手は「夢ではなく目標が大事」だと言いました。

正しいと思いますが、わたし自身、若いころ、夢なんかありませんでした。

何とかして食っていこう、とにかく死なないようにしよう、そんなことしか考えていませんでした。

無理して夢をもつ必要はありません。

夢を持つより大事なことは沢山あります。たとえば、しっかり食べて、

心地よく眠るというのもものすごく大事です。

心身が弱ったら、芽生えた夢も消えます。

   

    「夢」 村上龍

 

 

世界や日本のサッカー界で、若いころ、天才と言われ、大きな期待をかけられていた選手が、結果を残すことなくピッチを去った例は実に多い。

そのほとんどは、怪我によるものや、何らかの理由でコンデション作りに失敗したものである。

そうした光景をスポーツ中継で観ながら、「食べる」、「眠る」といった人間の最も基本的な要素の大切さをあらためて考えることが多々あった。

 

「あたり前のこと」をおざなりにしてきたが、実はそうした基本要素が、自分の身体や精神を形成しているのだ。

 

だから、「食」にしても、美味しいと感じられ、身体に良く、旬なものを食べるようになった。

 

また、以前は、根拠なくベッドの方がいいと思っていたものの、今は和室で心地よく、布団で眠るということが、かえって贅沢ではないかと思えるようになってきた。

(良い布団を使えば、起きた際の体調もいいことが分った。)

 

自分のやりたいこと(夢とは言わないが)をするためにも、「食べる」、「眠る」の大切さを、この年齢になってはじめて強く意識するようになった。

 

きちんと空気が充填されたタイヤがなければ、クルマは目的地に着くことができないのだ。

 

 

今日も読んでいただき、ありがとうございます。

 

Fuglen    LA  FOLIE

Bella Vista Mill,  Antigua,  Guatemalaを飲みながら。

 

 

 

 

「夏炉冬扇」という考え方。

「マーちゃん、俺たちもう終わっちゃったのかな?」

「バカ野郎!  まだ始まっちゃいねーよ!」                  

                    「キッズリターン」 北野武

 

 

数年前、社内の150人ぐらいの人たちの前で、自社のマーケティンメソッドの説明会を行ったことがあった。

その冒頭で、こう言ったことを今も覚えている。

 

「ここに半分の量の水が入ったコップがあります。これを<半分しか入っていない>と捉えるか、<半分も入っている>とみるかは大きなポイントです。

同じものを見ても、見方次第で、その結論は大きく異なります。」

 

 

禅の言葉で、「本来空寂(ほんらいくうじゃく)」というものがある。

人間は一人で生まれてくる孤独な存在である。

しかし、孤独だからこそ、自らの考えが深まり、他者に対して優しくなれると説く。

 

また、「夏炉冬扇(かろとうせん)」は、夏のいろりと、冬のうちわは、今は不要だとしてもきっと必ず役に立つときが来る、そのときを忍耐をもって待つことが大切である

とする。

 

これらの言葉には、もともとはネガティブなもの(「孤独」や「その季節には使えないもの」)を、ポジティブに転換する、共通の構造をもつ。

 

 

ビジネス事例にも、ネガティブをポジティブに見事に転換したものがある。

1968年、3M社は、強い接着剤の開発を行っていたが、「よくつくけれども、簡単にはがれてしまう」失敗作を作ってしまった。

 

しかし、これを失敗作とは捉えず、「何かに使えるに違いない」と考え、用途開発を行った。

 

ポストイット」である。

 

 

 

 今日も読んでいただき、ありがとうございます。

 

OBSCURAのNicaraguaを飲みながら。

 

 

 

 

 

 

 

同質集団への帰属意識と、異質な人たちへの理解の間に。

訪れる人の側に立って想像力を巡らせること、

それに「伝統」を資源として「再発見」することである。

二つとも、わたしたちは苦手だ。

異質な人々への理解より同質の集団への帰属意識が優先されてきたからであり、また自らの伝統を外から眺める視点を持てなかったからだろう。

 

「資源としての伝統(村上龍の編集後記)」より 村上龍

 

 

インバウンド」という言葉を見たり聞いたりしない日はほぼない。

インバウンド」という言葉の意味を紐解くと、「入ってくるもの・内向きのもの」という意味があり、マーケティング用語の文脈では、ユーザー等からの問い合わせに対応することを指す。

 

現在、「インバウンド」といえば、そのほとんどが訪日旅行促進、及び爆買いに代表される海外の人たちによる消費極大化を意味している。

 

こうした状況において、ここ数週間、地方創生、日本の地域活性化をテーマとするイベントや、日本の伝統工芸品の展示に足を運んでみた。

 

その結果、あらためて感じたのは、同質な組織集団への帰属意識が極めて強い役所や法人が、本来、異質な人たちへの共感や理解が不可欠な施策を促進する、というある種の違和感だった。

 

勿論、役所や法人等に勤務され、こうした仕事に真摯に取り組んでいる方も多いだろう。

しかしながら、団体のロゴマークをつくることや、パンフレットの体裁を整えること自体が目的になっているのではないか、と思われる例もみられる。

 

傾向として言えば、同質集団(インナー)への帰属意識が強い集団は、異質なものへの理解がしにくいのだ。

 

もっとも、こうしたジレンマばかり嘆いていても何もはじまらない。

 

1.まずは相手の立場に立って、その気持ちに想像を巡らすこと。

(ここでの「相手」とは、インバウンドなら海外の人ということになる。)

 

2.自分たちのいいところを外部から見た視点も含めて再発見すること。

インバウンドなら、「自分たちのいいところ」とは、日本や各地域の歴史や文化等を指す。)

 

3.(1と2の)接点を考え、その回路を丁寧につなぐこと。

 

こんな基本的なことの大切さをあらためて感じる。

 

 

仕事とは客観的なことではありえない。

自分が必要と感じたもの、魅力と感じたものの延長に

自分の仕事があるのだ。

自分の欲望から外れたところで、「儲かるから」「安定しているから」

などという客観的な要因で仕事を選ぶと、仕事を頑張れば頑張るほど、

本来の自分と仕事をしている自分が分離していく。

社会とは自分の延長線上にあるのだ。

「希望の仕事術」 橘川幸夫

 

 

今日も読んでいただき、ありがとうございます。

 

FUGLEN COFFEE Bella Vista Mill,Hunapu,Guatemalaを飲みながら。