語る前に、聞け。
「会社というものは「顧客に奉仕すること」以外の目的を持っては
いけない。」
(「大前語録」 大前研一)
広告会社や調査会社であれば、クライアントやその先の生活者も含めて、顧客と考えることができる。
病院であれば、患者やその家族が顧客である。
にもかかわらず、(自分自身の反省も含めて言えば)「顧客不在」と言われても仕方がない例が後を絶たない。
多くの会社や病院は、会議と称されるものに、多くの時間を割き、その大半は顧客のためのものではなく、インナーのためのものであることが実に多い。
また、ある調査会社やコンサル会社は、どのクライアントであっても、自社の定番の調査メニューに型通り流し込む作業を行っている例もある。
病院も同様に、例えば、インプラントが得意な口腔外科の場合、どんな患者に対してもインプラントを奨めてくる。本来は、何らかの事情で歯の土台自体がインプラントに耐えられない人もいるのだ。
多くの企業や組織が、自分の売り物をとにかく語りたがる。
しかしながら、本当に大切なことは、提案する前に(語る前に)、顧客から
真摯に「聞くこと」だと思う。
聞くことは、最も簡単なことに思えるが、そこには「技術」と「共感」の心が必要なのだ。どういう「問い」を立てるかという「技術」によって、顧客から引き出せることは変わってくる。
優秀な医者は、様々な形容詞をもっていて、痛みの状態について丁寧に聞く。
技術だけでなく、「共感」の心も重要であり、共感を通じて、顧客の真実の声を取り出せることがあり、僕自身はそれを<同治>という概念で考えている。
「<同治>と<対治>という言葉があります。もともと仏教の言葉です。
たとえば、高熱を発したときに氷で冷やして熱を下げるようなやり方を対治といいます。
これに対して、十分に温かくしてあげて、汗をたっぷりかかせ、そのことで熱を下げるようなやり方を同治というのだそうです。
また、悲しんでいる人に、「いつまでもくよくよしてもだめだよ。気持ちを立て直してがんばりなさい。さあ、元気を出そう」というふうに励まして、それで悲しみから立ち直らせるのが対治的なやり方です。
これに対して、黙って一緒に涙を流すことによって、その人の心の重荷を自分の方に引き受けようとする、そういう態度が同治なのだそうです。
対治は否定から出発しています。悪を否定する、病気を否定する。不自由を悪と考え、それを叩きつぶし、切除することで善を回復しようとする。そういう対立と攻撃の思想がヨーロッパ近代文明の一面です。
しかし老いを否定できるでしょうか。死を否定できるでしょうか。
それはできません。とことん打ちひしがれた人を救うのは、肯定の思想、同治の思想なのではないか。
(「他力」 TARIKI 五木寛之)
COFFEE VALLEYのGuatemalaを飲みながら。
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