町野公彦のマーケティング・ブリコラージュ

次の時代に手渡したいビジネス名言

物欲なき世界で。

「物欲は減り、モノは個人ではなく、皆でもつものに。

そしてモノの所有よりも行動やサービス、知識がより重視される時代が訪れようとしている。」

(「物欲なき世界」 菅付雅信)

 

かつて、僕は、広告会社の先輩たちから「物欲の拡大再生産」をミッションとして課されていた。

そのためには、モノはブランドであり、ブランドは記号であり、記号は差異を創出し、差異は情緒的な価値や、幸福感を充たす、というロジックをひたすら記述していた。

 

特に、以前勤務していた会社は、雑誌広告のプロデュースに強みがあったため、情報感度が高く、セグメントされた層に対して、ファッション衣料や化粧品、宝飾品といったブランドの物欲を高める戦略文脈をつくり、それを具体的な戦術にするという仕事が大半だった。

 

しかしながら、現在は、住居や自動車、衣料品までもがシェア(共有)される時代である。

こうした流れに呼応し、アパレル会社は服を売ることだけでなく、カフェを本格的に経営しはじめ、ファッション誌を出版する雑誌社もモード誌を扱うことから、ライフスタイル誌を扱う比率を高めているようだ。

さらに、百貨店は、顧客の手にその商品(衣料品)が手渡されるまでのプロセス全体に関与し、生地をつくることからはじめるケースもみられるようになった。

 

これに対して、広告会社はどうだろうか?

一部の先見力がある人や会社を除き、なかなか物欲拡大再生産のアプローチから脱却できずにいる。

<広告をする→物欲が飛躍的に高まる>という単純な図式はもはや過去のものである。

 

 

「職人として広告を作る側としてではなくて、企業を運営してゆく視点から見ると、テレビコマーシャルって、あんなにお金を使っても、「あるイメージに出会う頻度を高める」というだけなんですよね、せいぜい。

そこに、信頼はないんです。

(「糸井重里500分 ほぼ日刊イトイ新聞」 2004年1月5日)

 

 

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 を飲みながら。