町野公彦のマーケティング・ブリコラージュ

次の時代に手渡したいビジネス名言

終わりではなく、はじまりとして。

広告代理店の未来は「広告」が消えて「代理店」だけが残るかもしれない、と言っていた方がいました。

今まで培われた何かは生きていくけど、広告というアウトプットにはならないかもしれないと。

出版もファッションも同じです。本質的に自分たちが何の価値を体現しているのか? そういう発想は今後あらゆるところで必要になるでしょう。

「Decoded Fashion!~ファッションとテクノロジーの新しい関係~」WIRED編集長・若林恵(「ブレーン」から引用)

 

江戸時代に急速に普及したとされる「飛脚」は、いまや「宅配便」という姿になっている。かつて、人を馬で運んでいた「馬車」は、「自動車」という乗り物になった。

 

また、以前は新聞や雑誌を「紙」で読んでいた人も「スマホやPC」で読むことが当たり前になってきている。

 

様々な産業で終わりがある。

しかし、これをその産業の終わりとして片付けるのではなく、「はじまりとして」ポジティブに捉える必要がある。

以前、このブログで、出版社の未来は明るくないかもしれないが、本の未来は明るいかもしれないし、アパレル業界とファッションの未来は区別して考える必要があり、

これと同様に、広告産業の未来とコミュニケーションの未来は異なるはずだと書いた。

 

この考えは今も変わらない。

環境変化の中、自分たちは何を価値として提供できるのかを常に自問しながら、自らを見つめ直す思考が問われている。

 

インターネットという技術革新について、それが電話に代わる巨大な市場になる可能性があること、IIJが日本において、その市場をリードしていく企業になること、現在は資金がなくて、役所の許可を得られず、食うや食わずでいることを10分程度で話した。

 

「ところで、インターネットは、いま、どれくらいの人が使っているの?」

「日本では、研究者を中心に1000人程度ですかね」

「1000人の単位で通信ですか」

「10年後には、最低3000万人使うようになります」

小野寺さんは、けらけら笑い出した。

「3万倍ですか。そこまでの法螺はなかなか聞けないなあ」

 

数字の根拠はともかく、私にとっては、法螺でもなんでもなかった。

結局、私の思い込みは当たらなかった。10年後の2003年、日本のインターネット人口は7700万人を超えていたからだ。

(「日本インターネット書紀」 鈴木幸一)

 

 

本 日も読んでいただきありがとうございます。

FUGLEN TOKYO

GUDINA Co-op Ethiopiaを飲みながら。