社会や企業という鳥かごの中で。
「前述したレイモンド・カヴァーは、あるエッセイの中でこんなことを書いています。
『時間があればもっと良いものが書けたはずなんだけどね。』、ある友人の物書きがそう言うのを耳にして、私は本当に度肝を抜かれてしまった。今だってそのときのことを思い出すと愕然としてしまう。もしその語られた物語が、力の及ぶ限りにおいて最良のものでないとしたら、どうして小説など書くのだろう?
結局のところ、ベストを尽くしたという満足感、精一杯働いたというあかし、我々が墓の中まで持って行けるのはそれだけである。私はその友人に向かってそう言いたかった。悪いことは言わないから別の仕事を見つけた方がいいよと。同じ生活のために金を稼ぐとしても、世の中にはもっと簡単で、おそらくはもっと正直な仕事があるはずだ。
さもなければ、君の能力と才能を絞りきってものを書け。
そして弁明したり、自己正当化したりするのはよせ。不満を言うな。言い訳をするな」(『書くことについて』)
(「職業としての小説家」 村上春樹)
何かを企画したり、それを実現するといった仕事を長い間していると、いつの間にか変わってしまう人がいる。
以前は、「どうしたらこの課題を解決できるか」、「どうしたらこの企画を実現できるのか」をポジティブに追求していた人が、まずはじめに「できない理由」を探したり、「自己正当化する論理」を構築してしまう人になっている。
僕自身がそうだった。
この1か月ぐらいの間に複数の方々から、貴重な意見やご指導をいただき、変わってしまった自分に気づくことができた。
今後は、あらためて、仕事の大きさや、派手さ、地味さに関係なく、少しでも創造的な課題解決につながるような「選択」をしていきたい。
社会や企業という鳥かごの中で、どんな選択をするかが問われている。
「あなたの性格、精神、人生は、あなたが選んだものによって決定される。あなたの人生には恐ろしいほど多くの可能性があり、自分では制御できないが、それでもその中から選ぶ自由はとてつもなく重要だ。
遺伝子と環境の制約の中でどう生きるかは自分次第だ。あなたが仮に遺伝的・家系的に嘘をつく傾向があったとしても、裁判で真実を言うかどうかは自分で決められる。遺伝的・文化的に恥ずかしがり屋だとしても、知らない人と友達になる場合の危険性は自分で判断できる。受け継いだ傾向や条件を超えて、自ら判断できるのだ。
世界一速い走者になれるかどうかは自分の判断だけでは決められないが、以前より速く走るという選択はできる。
不思議なことに、こうした個人の自由な選択という側面が、他人の記憶に残るあなたの思い出なのだ。生まれや背景といった大きな鳥かごの中で、多くの現実の選択をいかにするかが、われわれ自身が誰であるかを決めている。それこそがわれわれが死んだ後も他人が語る物語だ。
与えられたものではなく、どういう選択をしたかが問題なのだ。
それはテクノロジーに関しても同じだ。」
(「テクニウム 〜 テクノロジーはどこに向かうのか? 〜」 ケヴィン・ケリー)
OMOTESANDO KOFFEEのブレンドコーヒーを飲みながら。
読んでいただきありがとうございます。