「軽い資本主義」の時代に。
「私の人生のモットーは一言でいうと、「軽い資本主義(capitalism light)ということね。」
-それはどういうことですか。
「コカコーラライトみたいなあっさり目の資本主義という意味。
アメリカンドリームのとても好きなところは、自分の力で自分の生活を立ち上げるところ。嫌いな面は、なんでも規模を大きくするせいで、人間性が失われがちなところ。」
(ポートランドのピップス・オリジナルドーナツ創業者)
(「spectator ポートランドの小商い 2015.Vol.34」)
かって(80年後半から90年代にかけて)、モノは記号になり、記号が差異をつくり、その操作を広告が担うのだ、ということがさかんに言われていた。
ここでの「記号」は、「ブランド」という言葉に置き換えられる。
(モノはブランドになり、ブランドが差異をつくり、その操作を広告が担う。)
ブランドもまた、ブランド拡張と称して、ディフュージョンブランドを生み出し続けた。
当時は誰もが、どこまでも拡張し続けられると無根拠に信じていた。
マーケッターと呼ばれた人たちも、ボードリヤール等の学者や知識人の本を読み、「フランスの偉い学者もこんなことを言っています」ということを日本に紹介することで、ブランド拡張の根拠にしていたことは否定できない。
しかしながら、このような状況も、テロや震災、度重なる経済危機を経て、生活者の価値観も変わってしまった。とくに、新しい若い世代は、「コミュニティ」をより重視するとともに、「モノではなく、コト(経験)」を大切にする傾向が強い。
こうした価値観の変化に、広告に携わる人も対応しなければならないのだが、いまだに「広告で操作できる」、「広告は見てくれるもの」という前提に立っている旧世代(自分も含めての世代)が存在する。
もはや、生活者は単にモノを沢山買ってくれる「ターゲット」ではなく、その商品価値を共創する「パートナー」であることをあらためて自覚しなければならない。
「サブプライム危機が起きて、それまで揺ぎないものと思われていた「アメリカンドリーム」のあり方が、もはや絶対ではなくなりました。
自分とは無関係だったかもしれない国家レベルのマネーゲームの失敗のおかげで、家や車といった物質の価値がある日突然変わってしまう危機を体験したからこそ、物的所有や金銭的成功よりも、自分の人生の舵を自分で取れる状況を作ることや、自らが社会を変える力の一部になろうとする力が、メディアや文化の様々な場所に生まれてきたのかもしれません。」
(「ヒップな生活革命」 佐久間裕美子)
GLITCH COFFEE & ROASTERSの YIRGACHEFFE <WASHED>のコーヒーを飲みながら。
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