町野公彦のマーケティング・ブリコラージュ

次の時代に手渡したいビジネス名言

「答えのない時代」に。

「自分が小説を書く上で重要なことは心情を伝えることなのだ。

知的な意見を伝えたいわけでも、何かについて議論したいわけでもない。

偶然にそうなってしまったら、それはそれでいい。けれど、基本的に私はとてつもなく大きく、とてつもなく重要な事に対する思いを伝えたいと思っているのだ。

尊敬する作家を読む時も、その点を大切にしている。映画や音楽など、どんな形の芸術に対しても、だ。自分たちの体験に対して、人間としての感情を分かち合うことは非常に重要なことだと思う。人間は社会で経済活動をするだけでは不十分なのだ。

心情をわかちあう必要がある。私が小説を書く時はこう言おうとしているのだ。

「私はこのように感じた。それを書いて君に見せている。君も同じように感じてくれたら嬉しい。私がここで表現しようとしていることを少しは理解してくれるのか? 思いは伝わるのか? 私はこう感じたんだと。」

(カズオイシグロ 「文学白熱教室」Eテレより引用)

 

以前(数十年前)のように経済が右肩上がりの時代においては、やるべきことが比較的明確であり、「オペレーション」が重視されてきた。

その当時の広告会社では、テレビや雑誌といった媒体に出稿することが大前提だった。媒体の需要が供給を上回るような状況だったので、「媒体枠自体を確保しました」と上司やクライアントに報告するだけで褒められるような時代だった。

 

これに対して、今は「答えのない時代」である。

何をやるべきか、なぜやるべきかから思考をスタートさせなければならず、ある意味全うでもある。

ただし、逆に言えば、長年、日本の教育を受けて成長してきた人間にとっては極めて厳しい時代である。

 

僕らの子供のころ、国語の試験では、日本の小説家の文章が何十行もあり、それらの文章を読まされた後、「100字以内で作者の考えを述べよ」という問題が必ずあった。

当時から、こうした問題の設定自体に大いに疑問をもっていた。

 

本当に問うべきは、この作者の意図ではなく、「あなたは、どう思ったか?」である。

 

「これは、六連発ですな。ありがたい。

もう剣術で勝負をつける時代じゃないけん、なによりのプレゼントじゃ。」

龍馬は、ちょっとおしいただくようにして、うれしそうにふところへ、しまいこんだ。」

(「もうひとつの「幕末史」」 半藤一利より引用)

 

COFFEE VALLEYのKenyaを飲みながら。

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