常識の境界線を疑ってみる。
「企業戦略家が膠着状態の市場からの脱出方法を探し求めている場合、一つの道は、製品や市場に関する従来の考え方に真っ向から挑戦することである。」
「まず自社の置かれた製品・市場環境の中で”常識”とされている観念を残らず数え上げ、一覧表にしてみるとよい。その一つ一つを覆す手段方法が考えられるかどうか、試してみるのである。」
(「Strategic Mind」 大前研一より引用)
先日、ある調査会社の方が、依頼していた調査レポートをまとめたので、持参しますとのことで、打合せを行った。
そのレポートには、定量調査で得られた多くのデータを棒グラフ、折れ線グラフを駆使して、ひとつのグラフにしてくれたものであり、一枚の紙にかなりの情報量が盛り込まれていた。
人間が処理できる情報量に限りはあるし、僕自身もこのグラフのどこから見るべきか、あるいは、このグラフから得られたメッセージは何なのかが分りにくかった。
そこで、「このようなグラフフォーマットは、どのような意図で作成されているのですか」と当たり障りのない言い方で聞いてみた。
それに対して、調査会社の方は、「昔からこういう形で作成しています」という回答のみだった。この回答を聞いて、僕自身が勤務する会社でも同じようなことがないか、自問してみる必要があるのではないかと思った。
「前からこうなっているから」とか、「こういうものだから」・・・といった固定観念にとらわれて思考停止してしまっていないかを問わなければならない。
広告会社自体も、「クライアントから媒体費をいただく」、「広告はクライアントがあって成立するもの」・・・・・・という絶対的な「常識」が存在する。
しかしながら、「クライアントから媒体費をいただかなくても成立するビジネスのやり方はないか?」とか、「広告コンテンツ自体を売ることはできないか?」・・・・とか、そんな非常識を真剣に考える、常識の境界線を引きなおすことを試みる時期に来ているのかもしれない。
安定のために何も考えない、何もしないという選択肢はもはやない。
「持続する優位性という想定が生み出す安定重視の姿勢は、命取りになりかねない。私の研究によると、安定が正常で変化が異常というわけではない。実は話が逆なのだ。熾烈な競争環境では、変化ではなく安定こそがもっとも危険な状態なのである。」
(「競争優位の終焉」 リタ・マグレイス から引用)」
COFFEE VALLEYのEl Salvadorを飲みながら。
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