町野公彦のマーケティング・ブリコラージュ

次の時代に手渡したいビジネス名言

与えてもらった可能性。

「人間が誰かのために作った可能性は、長い時間が経過しても、引き続き他人の可能性を広げている。」

(「ケヴィン・ケリー著作選集Ⅰ」 ケヴィン・ケリーより引用)

 

雑誌「WIRED」の創刊編集長であったケヴィン・ケリーは、絵具がなければゴッホはいなかったし、楽器がなければモーツアルトもいなかったであろうという文脈で上記のことを語っている。

今回は、この引用文から大きく飛躍して、「他人が与えてくれる可能性」ということについて書いてみたい。

僕自身、大学4年の時、就職活動もせずぶらぶらとしていて、当然、内定をもらった会社は1社もなかった。その頃はマーケティングという言葉すらあまりなじみがなく、何かを伝えることで、受け手の心を動かしたいという漠然とした想いだけがあった。

そんな時、たまたま大手新聞社の広告企画制作会社(新聞社の子会社で従業員は60人もいなかったと思う)の求人情報を見つけた。あまり着る機会もなかったチャコールグレーのスーツを着て、その会社の役員だという50才ぐらいの人と指定された銀座の喫茶店で会った。1時間ほどとりとめのない話をし、「また連絡します」と一方的に言われ別れた。

その後、数ヶ月間何の連絡もないまま時間は経過した。内定なしで、親からも怒られる日々が続く中、ある日、あの役員から突然電話があり、また同じ銀座の喫茶店で再開することになった。役員はいきなり、「4月からじゃなく、3月から来てくれる?」という一言だけだった。

こんな風にして、大手新聞社の出版部門の仕事をすることになった。その後、広告会社に移った際も、タイプは違うもののなぜか僕を採用してくれた人がいたし、現在では、就職活動もろくにしなかったこんな人間に、年に1回大学で講演することを依頼してくれる方にもめぐり会えた。専門誌に取材していただいたこともあった。

何よりも、提案した企画の可能性を感じ、採用していただいたクライアントも沢山いた。

心から「他人が与えてくれた可能性」に大変感謝している。

実は、このブログ開設にあたっても、物理的にも、精神的にもご家族の看病で大変な状況にあるにもかかわらず、自分自身が使えるわずかな時間を割いて、ITリテラシーがない僕を助けてくれた人もいた。(ブログ開設により、今まで知り合えなかった人と知り合う可能性を広げてもらった。)

こうしてみると、つくづく人から可能性を与えられていることにあらためて気づかされる。

だからこそ、僕自身、与えてもらった可能性を最大限活かす試みを続けると同時に、自分が与えてもらった機会を常に思い出し、他者に対しても可能性を与え続けなければならない。

 

最も、どんな人にとっても最大の可能性を与えてくれたのは、生きる機会を与えてくれた親であろう。こんなことに気づくのに数十年の時間を要してしまい、気づいた時には父親はこの世にいなかった。

 

「人間が誰かのために作った可能性は、長い時間が経過しても、引き続き他人の可能性を広げている。」

 

 

SARUTAHIKO COFFEEのKenya Gachathaのコーヒーを飲みながら。

 読んでいただきありがとうございます。