町野公彦のマーケティング・ブリコラージュ

次の時代に手渡したいビジネス名言

そして、私たちはマーケティングに帰る。

「しかし、まえがきで、デジタルマーケティングとは、「マス、リアル、ネットの3領域を全てデジタルで統合し、ユーザー導線を効果的につくっていくこと」と述べた。」

(「リアル行動ターゲティング」 横山隆治

 

 

「数億円の予算配分をマス広告を中心に数ヶ月前から計画的に行い、マス広告のヤマを設けて、ドーンと一回、広告キャンペーンを行い。その後に、定量調査を年に2回程度行って、次年度のキャンペーンを決めていく・・・・・・」。

 

こうしたやり方は、「デジタルな人たち」にとっては、「こわれゆく旧世界」のものであると認識されつつある。

 

現代のデジタル時代では、「ターゲットさえ事前に厳密には決めなくていいのではないか。なぜならば、反応があった人たちを捉えればいいのだから」・・・・とする意見をもつ人さえ存在する。

あるいは、「一回広告をやって終わりではなく、常にリアルタイムでデータを観察し、打ち手をその都度変更したり、追加したりしていくべきものである」ということが当たり前の世界である。

 

こうしてみると、「旧世界の人たち」と「デジタルな人たち」の間にギャップが生じているケースも多いのではないかという問題意識をもつ。(勿論、先進的な会社は違うのかもしれないが・・・・・・・・・・)

 

「旧世界の人たち」と「デジタルな人たち」の間にギャップがあるといっても、2つの世界に欠かせないものも確実に存在する。(広告以前の問題として。)

 

トルコ系ドイツ人であるファティ・アキンという映画監督の作品に、

「そして、私たちは愛に帰る」という映画があった。

現代のビジネスキーワードは、「そして、私たちはマーケティングに帰る」であろう。

 

つまり、「いかに顧客の立場に立って、プロダクトやサービスの満足感を高め、それを維持し続けられるかを考え続けること」、言い換えれば、顧客との協創関係のもと、どのような「カスタマーエクスペリエンス」を提供できるかが争点になる。

 

ある人はそれを「サービスデザイン」と呼び、またある人は「マーケティング」と呼ぶ。

あらためてここに帰ってくる。

 

「ここでもっとも重要なのは、タッチポイントごとのクオリティの多様さと、期待と経験の間にあるギャップです。人々が期待しているものを得られているときには、彼らはクオリティが適切であると感じているでしょう。」

(「サービスデザイン :ユーザーエクスペリエンスから事業戦略をデザインする」 アンディ・ポレイン)

 

 

本 日も読んでいただきありがとうございます。

BLUE BOTTLE  COFFEE

ETHIOPIA LIMU GERAを飲みながら。